札幌地方裁判所 昭和48年(わ)1023号 判決 1975年2月19日
主文
一、被告人深江三喜男を禁錮一年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
二、被告人村上和博を禁錮一〇月に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人両名は、いずれも発電を営む北海道電力株式会社の従業員であって、同社道央支店藻岩電力所に勤務していたところ、同社においては、豊平川の各所にダムを設け、その貯水を利用して発電を行うのであるが、うち藻岩電力所は、札幌市南区豊滝六三三の一番地の砥山ダムを利用した砥山発電所および同区白川一、八一四番地二二七の藻岩ダムを利用した藻岩発電所における各発電を管掌しており、その際豊平川の水量の多寡や発電量の変化に伴う発電用水量の増減に応じてダム内の水を河川の本流に放流する必要があるところから、この水路を管理する職分を担当するものとして同電力所に水路係を設けていて、被告人両名のうち、被告人深江三喜男は、水路係長であり、かつ、砥山ダムの管理主任技術者および藻岩ダムの管理責任者を兼ね、もって同係所属の係員を指揮監督して、両ダムに設備された水門の操作・管理をなすと共に砥山ダム下流の河川水路の安全を保持する業務に従事していたものであり、被告人村上和博は、同電力所の水路係員として藻岩ダムに常駐し、上司である水路係長の指示・監督のもとに同ダムに設備された水門の操作のほかダム放流の際の下流への警報を実施する業務に従事していたものであるが、豊平川の水流は、砥山ダムに入った後、砥山発電所における発電に使用されるために取水口から隧道に入り砥山発電所での発電を経て下流にある藻岩ダムの上流約〇・九キロメートルの地点で隧道から出て河川本流に流れ込み、他方、砥山ダム内の残りの水のうち剰余分は同ダムから河川本流に放流されて、付近の沢水を合わせ、かつ砥山発電所のための隧道を経た水とも合流して砥山ダムの下流約五・七キロメートルにある藻岩ダムに流入し、次に藻岩ダムの水は藻岩発電所における発電に使用されるために取水口から隧道に入り、他方藻岩ダム内の残りの水のうち剰余分は同ダムから河川本流に放流されて下流の白川ダム、藤野地区、藻南地区を経た後、藻岩発電所での発電を経た水と合流する、という水系を形成しており、なお、河川本流に放流される水量の変化によって豊平川の河原に立ち入る者に危害がおよぶことに備えて、藻岩ダム下流地域のために、その数ヶ所にスピーカーを設け、これによって放流量零から放流するに際しては、このスピーカーから放流の旨を警告できるように同ダム事務室内の放流警報制御盤によって警報操作する方式がとられているうえに、同社と最寄りの警察署および十五島公園を管理する株式会社じょうてつとの間に危険防止のための連絡体制を整えてあったところ、昭和四八年一〇月一六日、砥山ダムにおいては当初砥山発電所の発電用水として取水口から隧道に毎秒約二一・二トン、剰余の水として流芥ゲートから河川本流に毎秒約六・四トン、の水がそれぞれ流れており、そこで下流の藻岩ダムには両者のほか沢水をも合わせて毎秒約三〇・二トンの水が流入し、うち毎秒約一七・二トンが藻岩発電所の発電用水として取水口に入り、剰余の水として毎秒約一三トンが第五排砂ゲートから河川本流に放流されていたが、砥山発電所取水口ゲートの自動制御器(シーケンス)改良試験を実施するため、同日午前八時前ごろから同取水口ゲートが全面的に閉鎖されて発電のための取水が停止したことにより、それまで同取水口に流入していた毎秒約二一・二トンの水が砥山ダムに貯溜されることとなった際、代替勤務に就いていた水路係員の戸嶋信好が、その頃この貯溜分の水を減らすべく、流芥ゲートからそれまで放流されていた毎秒約六・四トンの水にいっきに上乗せして毎秒約二七・二二トンとして河川本流に放流し始める、ということがあって、このため、下流の藻岩ダムにおいては、先ず、改良試験の実施に伴う砥山発電所での全面的な取水停止の影響で(隧道内の水の方が河川本流を流れる水よりも早く下流に達するという流速の差から)砥山発電所を経て流入していた毎秒約二一・二トンの水が流入しないことにより減少して、その貯水位がにわかに低下し、その結果、自動操作中の第五排砂ゲートを通ってそれまで毎秒約一三トンの放流があったのに、午前八時二〇分ごろ以降、ダム内の水量を確保するため右ゲートが自動的に全閉となって同ダムからの放流量が零となり、次いで、午前八時五〇分ごろ砥山ダムにおいて右改良試験の中断に伴い砥山発電所での発電のため毎秒約二一・二トンの水を取水口から再び取り入れ始めたことによって、右取水口から隧道を経た水が遅くとも約三〇分後には藻岩ダムの上流で河川本流に流れ込むこととなったが、そのころ、先きに戸嶋信好によって砥山ダムから河川本流に放流されていた毎秒約二七・二二トンの水が、流速の相違から漸く藻岩ダム付近に到達していて、両者が合流し、藻岩ダムの調整池に流入するに至ってその貯水位を急上昇させ、午前九時一〇分すぎごろにはなおも自動操作のままであった同ダムの第五排砂ゲートを全閉から自動的に開かせて、藻岩発電所での発電用として取水口に入る分を取り去っても、わずか数分後の午前九時二〇分すぎごろには毎秒約三七・一トン、さらにその数分後には毎秒約四二・四トンの水が同ゲートからいっきに放流されるという事態になったところ、その頃藻岩ダムにおいて勤務に就いていた被告人村上和博は、同ダムの流水量をみているうちに、この水量の急激な増加に驚き、上司である水路係長の被告人深江三喜男に事情を糺すべく午前九時二〇分すぎごろ同区南三三条西一一丁目四六〇番地の一に所在する藻岩電力所事務所内の同被告人に電話し、とんでもない水が流れて来た、ゲートが二メートル位あいている、との旨を告げ、これに対して被告人深江三喜男は、この多量の水に不審を抱き、かつ現場の被告人村上和博が驚きあわてている様子から、藻岩ダム下流の豊平川河原、特に同ダムの下流約三・二キロメートルの同区藤野にある十五島公園地域の河原への人の立入りが懸念されたので、多量の流水が同河原付近に到達する時刻を午前一〇時五分ないし一〇分すぎごろと予測して、被告人村上和博に対し、スピーカーによる放流警報装置を用いて、午前九時五〇分に十五島公園地域にダム放流警告放送を一回行なうようにとりあえず指示して電話を切った後、右のような放流量急増の原因を知るべく、午前九時三五分前後ごろ砥山ダム勤務の戸嶋信好に電話して事情を問い糺した結果、同人が午前八時ごろから約一時間にわたり毎秒約二七トンの水を継続して放流した旨を聞き知るにおよんだのであるが、ここにおいて、
(一) 被告人深江三喜男は、砥山ダム管理主任技術者であるところから、砥山ダムにおいて戸嶋信好が毎秒約二七トンもの水を午前八時ごろから約一時間にわたって河川本流に放流したことを聞き知った、というのであるからには、砥山ダムにおいてシーケンス改良試験が同日午前八時ごろ、午前一一時ごろ、午後三時ごろ、のそれぞれからいずれも約一時間にわたり実施されるということは予め知っていたものの、右改良試験がそれまで自ら考えていたところと異って砥山発電所における発電のための取水の全部もしくは少くとも大部分にわたる停止を含むものであり、従って午前八時二〇分ごろから約一時間にわたって砥山ダム下流の流水量に著しい変動を伴い、その間に藻岩ダムからの放流量が少なくともいったんは零になったことに気付き得るし、そのうえに戸嶋信好が午前八時ごろ以降河川本流にいっきに放流したことが加わって、午前九時二〇分ごろから藻岩ダムにおける異常な流水量の増加をみたものである、と知り得るに至り、そこでこのような異常な流水量の増加によって藻岩ダムから放流された川水が当初予測したよりも早く十五島公園地域の豊平川河原に達し、かつ、その水位が急激に上昇して、河原に立ち入る者に危害が及ぶおそれのあることを十分に予想し得る状態となったのであるから、このような場合、両ダムの水門の操作・管理および水路安全の確保の業務に従事する者としては、藻岩ダム勤務の水路係員である被告人村上和博に対し、先きに午前九時五〇分に十五島公園地域にダム放流警告放送を一回行うように指示したのみで放置しておくことなく、放流量急増による危害のおそれが切迫していることを十分に知らせたうえ、右警告放送を午前九時五〇分を待たずに直ちに、かつ繰返し行なうようにあらためて指示し、かつその後も同被告人と緊密な連絡を保って確実にその操作をなすよう監督すると共に、ダム放流水による危害を防止するための連絡体制に基いて最寄りの警察署および株式会社じょうてつに右の旨の通知を直ちに行ない、もって、十五島公園付近の豊平川河原に立ち入る者に放流による危害がおよぶのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、砥山ダム付近にいた水路係員に十五島公園地域の河原を巡視するように指示したのみで、右の各措置を講せず、
(二) 被告人村上和博は、上司である水路係長の被告人深江三喜男から、同日午前九時五〇分に十五島公園地域に向け一回警告放送をするように指示を受け、かつ自らも、藻岩ダムに異常に多量の川水が流入してこれが河川本流へ放流される事態を現認していることにより、同ダム下流の豊平川河原に立ち入る者に危害がおよぶおそれのあることを予想し得る状態にあったから、このような場合、同ダム下流への警報装置の操作を掌る業務に従事する者としては、被告人深江三喜男から指示されたところに従い、同ダム事務室に設置された放流警報制御盤の上に横に一列に並んでいる押ボタンのうち、十五島公園地域のスピーカーを鳴らすところの「十五島」と表示された押ボタンを午前九時五〇分に確実に押し、もって同地区の豊平川河原に立ち入る者に放流による危害がおよぶのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同日午前九時五〇分ごろ、放流警報制御盤上の押ボタンを一回押すにつき、同ダムの水位の状況に気をとられてその操作を誤り、右「十五島」と表示された押ボタンの向って左隣りの「フジノ」と表示された押ボタンを押してしまい、十五島公園から約一・五キロメートル上流の下藤野地域につき右警告放送を一回行なったものの、同時刻ごろ十五島公園地域に対しては右放送を行うに至らず、
もって、同日午前九時二〇分すぎごろから同三〇分ごろにかけて藻岩ダムから一挙に河川本流に放流された毎秒約四二・四トンの水が午前一〇時ごろ札幌市南区藤野一〇八番地所在の十五島公園地域の豊平川河原に到達した際、そのころまでの間に同地域に対するダム放流警告放送がなされず、連絡情報も届かず、また巡視を命じられた係員も到着せず、かえって、藻岩ダムからの放流量が一時的に零であったため、その直前まで河原を流れる川水が殆んどなく、そこで同日午前九時五〇分ごろから付近河原に炊事遠足のため到着した札幌市立柏丘中学校生徒約一、一〇〇名中の相当数をして、川水が殆んど流れていないのに安心してダム放流を知らないまま、あいついで河原内に立ち入らせてしまっていたが、そのうちの白川橋(吊り橋)の下流約一〇〇メートル付近の河原中州において、一年六組の生徒の一部が窯をしつらえる場所をさがした後、川岸に引き返そうとしたところに、折から到達した右多量の放流水が、同所付近では川幅が狭く、かつ岩盤部分が多くて水路部分が少ないため、急流となり、かつ、水位の急激な上昇を伴って、その足もとを襲い、川岸に引き返すことができずに急流の中に取り残された生徒のうちの野口恭一(当時一三歳)および山上弘文(当時一三歳)の足をさらって、両名を豊平川下流に押し流し溺れさせて約七〇〇ないし八〇〇メートル下流の地点まで押し流させ、よって、右両名をして、そのころ同所付近においていずれも溺死するにいたらしめたものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(法令の適用)
被告人両名の判示各所為(予備的訴因にあたる事実ではあるが、法理上これが主位的訴因とみられるので、先ず右訴因について判断した)は、いずれもそれぞれにつき刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い(年長者である)野口恭一に対する罪の刑で処断することとして、所定刑中禁錮刑を選択した刑期の範囲内で、被告人深江三喜男については、同被告人を禁錮一年に処し、同法二五条一項によりこの裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、被告人村上和博については、同被告人を禁錮一〇月に処し、同法二五条一項によりこの裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。
(事故発生をめぐる諸事情およびこれに対する各被告人の責任)
前途有為な二名の少年の生命を一瞬のうちに奪った、というその結果は余りにも重大であり、かつ悲惨である。その身内の者の嘆き、悲しみを思うとき、各被告人は、その結果の重大性に深く思いを致すべきであろう。この惨事に至る諸事情を今ここに振り返って考察するとき、そこに惨事に必然的につながり得るところの企業内での数々の弛緩や怠慢、不備が見出されるのである。
少年二名を押し流した急流は砥山ダムにおいて戸嶋信好が河川本流にいっきに放流した上乗せ分毎秒約二一トンの水をもとに生成された。同人は、当日同ダム常駐者の差支えにより急拠代替勤務についたものであるが、それにしても代替勤務は珍らしいものではなく、かつ水路係員であるからには、放流の手順・方法について必ずしも無知であったわけではない。然るに、午前八時ごろシーケンス改良試験の開始に伴って発電用取水が停止されるや、実際にはこの取水停止が一時間ほどのものであり、従ってそれまで発電用に使われていた毎秒約二一・二トンの水が砥山ダム内に貯溜されることとなっても、流芥ゲートから従前放流していた毎秒約六・四トンをそのまま継続して放流するのみで、同ダムを満水にすることはなかったのに、同人は、取水停止が相当長時間にわたるものと一人合点していたところから、満水になるのをおそれて、全く独断でこの取水停止分を河川本流にそのまま放流しようとしたが、その際、砥山ダムにおいて放流するに当っては、いっきよに大量の水を放流することによって下流における水位の急激な上昇が生じるのを防止するため、段階的に放流量を増加させるべきであって、このことは河川法四七条三項および砥山ダム操作規定一一条、一二条三項をまつまでもなく、放流量操作の基本というべきものであるのに、慢然とそれまでの放流量にいっきに貯溜増加分を上乗せして約一時間にわたり毎秒約二七・二二トンの放流を継続してしまったのである。同人のこうした軽率な所作によって生じた異常な川水は悪魔の爪を構えて豊平川を流れ下って行った。
とはいうものの、この異常な水流は、被告人深江三喜男が明確に察知する以前に、藻岩電力所内の他の従業員によって幾つかの機会にとらえられていた。藻岩電力所の勤務体制は、発電を担当する運転係、発電設備の保守を担当する保修係、水路を担当する水路係、から成っているのであるが、そのうちの運転係に所属する藻岩電力所の配電盤室では、発電のための使用水量を計算するについて参考とするため各ダムから一時間毎に放流量の報告を受けているところ、当日午前八時ごろ配電盤室勤務の平山忠之が砥山ダムの戸嶋信好から、流芥門を八時に四七センチ開けて毎秒約二七・一トンの水を放流した、との連絡を受けており、この報告は発電日誌によって次の勤務員大沢正雄に引継ぎとなっている。大沢正雄は、また、配電制御盤の前に坐ってこれを終始注視し、発電用水の動向を監視し続けていた際、配電制御盤上に表示された各ダム貯水量の高低変動をも刻々確認していた。そして当日午前九時三〇分ごろ藻岩ダムにおける貯水位が最高二〇二センチメートルとなり、その後満水位の一八七センチメートル前後にあったことから、砥山ダムで放流した分と午前八時五〇分から再び取り入れられ始めた発電用水とが合流して藻岩ダムに流れ込んでいるのを察知している。運転係長の西村藤作もまた、午前八時すぎごろには配電盤室備付の発電日誌を見て、午前八時に砥山ダムで、その放流量が毎秒約六・四トンからいきなり毎秒約二七・一トンに急増していることを知った。そして同係長は、これを特に所内に周知させる事項であると考えて、午前八時四〇分ごろ同所内で行なわれた朝札の際に、この旨を含めて述べた、というのではあるものの、いかんせん全体として早口で、かつおざなりな事務的口調であったため、その場に居た被告人深江三喜男の聞き知るところとならなかった。このように運転係の系統では、その職務が本来発電の管理にあるとはいうものの、発電が水力によるところから、水量の変化をも把握する必要があり、そこで戸嶋信好が野放図ともいえる放流の所作におよんだことを職務上知ったのに、ダム放流は水路係の所管である、との分掌意識が働いたか、或は、この放流は水路係長の了解のもとに行われているのであろう、との安易な速断から、放流自体を無謀のもののように感じながらも、水路係長である被告人深江三喜男にその事情を糺すことなく打ち過してしまい、結局、協働の気持を欠いたその執務態度によって異常な水流に適切に対処する機会を運転係においても逸することとなったのである。手落ちともいうべきものは保修係にも存した。水路係員戸嶋信好をして誤操作をとらしめる背景となったシーケンス改良試験の実施については、その三日前の係長会議において保修係長の服部稔から水路係長の被告人深江三喜男に伝えられているが、その伝達内容は単にその実施の事実のみであった。今回は発電取水の停止を伴うことにより当然に下流の流量に変化をきたすものであるからには、保修係長としては、水量変化に伴う危険の発生を虞り、水路係長の同被告人にさらにその具体的内容について明確な説明ないし打合せをなすべきであった、と考えられる。このような連絡打合せの不徹底は、当日改良試験を担当した保修係員清享と砥山ダム現場勤務の戸嶋信好との間においてもみられるところであった。さらに、水路係の内部においても、藻岩ダム現場勤務の被告人村上和博が、当日午前八時二〇分ごろから同九時ごろまでの間、藻岩ダムで河川本流への放流量が零となる、という注目すべき流量の変動を現認していながら、その旨を直ちに、かつ確実に、上司である水路係長の被告人深江三喜男に報告しないまま放置したことも、現場勤務の水路係員として怠慢のそしりを免れない。
そもそもシーケンス改良試験自体は保修係限りのものであろう。しかしそれが発電用取水の停止と再開を伴うとき、下流の流水量に変動を生じさせるものであるからには、水路係の所管にも影響を及ぼすことに思い至らなければならない。しかも流水量の変動は下流の河原に立ち入る者に対して危害をおよぼすおそれがある。従って右の改良試験の如きといえども、保修、水路、さらには運転の各係が緊密な連絡打ち合わせの体制のもとに電力所全体の見地から実施し、もって流水量の変動をも刻々確実にとらえることにより、いやしくも手違いによって下流における危険を生じないように心掛けるべきものであった。ところが、当時藻岩電力所内においては、流水量の変動を伴うというような対外的危険のある事業活動に従事していながら、従業員が互に協力し、同僚の足りないところを補い合って危害の発生を防止する、との意欲に欠けるところがあり、右の改良試験にあっても各係間の協力・連絡の体制を密にするというような特別の配慮がないまま推移し、加えて日常みられた職務上の縄張り的雰囲気が災いして、惨事の発生を未然に防止できなかったことは何としても痛恨事である。このように惨事を招いた背景には、ダム放流そのものに関して極めて安易な空気にあった藻岩電力所内部全体の体質自体に発生の因子があった、との面を否定できない。にもかかわらず、その事後処置としては、戸嶋信好が、放流を増量するに当り砥山ダム操作規程に従って、下流水位の急激な変動を生じないように、毎秒二・九トン一〇分間継続の範囲で段階的に増量し、かつゲートの一回の開閉の動きは〇・三〇メートルを越えてはならないのに、ゲートの開度を一挙に〇・三六メートル上昇させ毎秒二一・二トン増量してダム放流した、との所為により河川法違反で罰金五万円に処せられたほかは、被告人両名を除いて今日まで刑事責任を追求された者は見当らない。このような状況であるのに、被告人両名のみが何故に強く処罰されなければならないのであろうか。
問題は惨事発生に対して各被告人がそれぞれ直接的に原因を与えたことにある。なるほど、惨事を惹き起した急流は、藻岩電力所から遠く離れた砥山ダムにおいて予想だにされないような所作を一因として生じたものではある。また、水路係の内外において協働の妙を得ていたならば惨事の発生を防止し得る手だてが確実に講じられていたかも知れない。しかし、被告人深江三喜男は、藻岩電力所の水路係長であった。すなわち、同電力所内においては水路に関する最高の現場責任者であり、また、そのための包括的な管理指示権を有していたのである。従って同被告人としては、他の係がどうであれ、自ら進んで常に水路の状況を的確に把握し、いやしくも流水量の変動による危険の発生を見逃すようなことがあってはならない、との職責を有するものである。同被告人にして、もしもこの職責の自覚に欠けるところがなければ、係長会議における改良試験の打合わせに際して、流水量におよぼす影響につき説明を求めたであろうし、当日においても、配電盤室や砥山・藻岩両ダム勤務の水路係員と連絡を保ちつつ、終始流水量への影響に留意し、また、自ら代替勤務を命じた戸嶋信好に対しても、予めシーケンス改良試験の概要、少なくともこれが一時間単位に行われるものであることを知らせておくことによって、同人が誤った判断に基いて大量の水をいっきに放流する、というような事態を回避できたか、ないしは、このような事態が生じた後は、これを速かに、かつ確実に聞知して、その豊かな実務経験に基き、早期に適切な措置を講じ得たはずである。ところが、同被告人は、この職責を十分には自覚せず、加えて当日午後から私用で旭川に行くのに気をとられたことも手伝ってか、水路管理に緊張を欠いていたため、当日午前九時二〇分すぎごろ被告人村上和博からの電話連絡があったのを契機として異常放流の実態を察知するという有様であり、しかも、この事態に即応した的確にして万全の措置を講じなかったのであるからには、直接の水路責任を有する者として、他の者の場合と異り、その刑事責任を厳しく追求されるのは止むを得ないところである。もっとも、被告人深江三喜男は、惨事の発生した十五島公園地域に向け午前九時五〇分にダム放流警告放送を一回するように、被告人村上和博に指示している。同被告人にして右の指示を確実に実施に移していたならば、この惨事は防ぎ得たであろうに、誤操作によって同地域に警告が伝達されなかった、というのであるからには、被告人深江三喜男の心中には、その責任の幾分かを部下の被告人村上和博に転稼したい気持が存するであろう、と推測するに難くない。この心中また無理からぬところである。だが、この誤操作は諸種の情報を捕捉・蒐集し得る地位にある水路係長の直接監督下において生じたものである。事態が危険なものであり、かつ切迫しているのに、単に一回の警告放送を指示するのみにとどまった、というのでは、何としても水路係長が先ずその管理責任を厳しく追求されて然るべきものといわなければならない。他方、警報を現実に鳴らす者は、藻岩電力所から遠く離れたところの藻岩ダムの現場において勤務する水路係員である。しかも、この職責は同係員に重く課せられているのであって、こと人命に直接影響するものであるからには、他の者の弛緩や怠慢の故をもって大きく減殺されるべき性質のものではない。少くとも上司から命じられた事項はその責任を自覚して確実にこれを遂行すべきであった。この職責を軽率にも果さなかった被告人村上和博もまた、被告人深江三喜男に次いで、その責を負うべきである。
職場内における従業員の職務上の弛緩や怠慢、勤務体制の不備、はその影響が職場内にとどまっている限りでは、当該企業ないし事業体を害するのみであって、その損失でしかなく、それ相応に斟酌し得る余地がある。従って、各被告人を含めて会社内における処分が如何様であれ、それなりのものとしてみることができるであろう。しかしながら、この職務上の弛緩や怠慢が企業ないし事業体の外に対して影響をおよぼすとき、殊にそれが人命にかかわるとき、危害を生じさせた責任は厳しく追求されなければならない。しかもこれが勤務体制の不備を除外して考えても、なお惨事の発生に対して直接的に作用しているとき、当該企業ないし事業体の内部の勤務体制に不備な点があったことの故をもって斟酌され得る余地は極めて少ないものである。対人的な危険を伴う職務や作業に従事する者は、それが企業ないし事業体を管理する者であれ現場の作業員であれ、企業活動に基く危害の発生に対して直列的に関与するのであればあるほどそれだけ、ひとしく職務や作業の遂行に緻密かつ真摯であるべきであって、この場合、上層の幹部から末端の現場作業員に至るまでそれぞれの職分に応じて負うべき職務遂行上の責任を、企業全体の責任、すなわち、管理責任ないし幹部責任とは異るところのいわゆる企業責任の中に埋没させ或いは転稼しようとする傾向は、社会生活の安全に対する個人の応分の責務を稀薄化し、もって企業活動に基くあらたな危害の発生を準備するものとして、安易に容認されるべきではない。
その責任はいずれも所定刑中禁錮刑をもって臨むべきものである。しかも死亡した二人の少年について摘記するほどの責められるべき点があったとは思われない。この将来のある若い二人の生命を失なわせたものであるからには、各被告人の刑責はあまりにも重大である。とはいうものの、各被告人の刑事責任の程度を考えるに当って、この惨事を惹起した急流が戸嶋信好の無謀な放流を一因として生成されたものであることを、全く無視し得るものとは思われない。各被告人にとって、この急流の生成を予め察知し得てよってもって生じる危険を未然に防止し得るものであったとしても、洪水というような常日頃考慮の中にあった出水形態と異るところの無謀な放流に直面して狼狽したであろう心情が理解できないわけのものではなく、加えて、被告人深江三喜男については、被告人村上和博に何らの指示もしなかったのではないのであるが、同被告人の初歩的な誤操作もあって結局惨事を回避できなかった、という点では同情されてよいし、被告人村上和博については、時期を幾分失したきらいがあるとしても、現場の常駐員としての本能的判断から危険のおそれを感じとって上司に報告した点は斟酌し得るところであって、各被告人共、これまで何らの前科なく、(藻岩ダムにおいて午前八時二〇分および同九時の河川本流への放流量が零であったとの記録を、これではその後の放流が零からの放流、いわゆる初期放流となって、当然にダム放流警告放送の対象となるところから、惨事発生後に、毎秒一・五トンと改ざんして、同九時すぎごろ以降の放流を初期放流ではないかのように見せかけた所為はさておき)今や深く二つの魂の冥福を祈る心境になっており、他方、会社としても、その責任を強く自覚して、遺族に対し相当の賠償金を支払い慰謝の方途を講じて示談が成立し、また、ダム放流に関して会社の内外にわたり種々の安全策や設備を整え、特に藻岩電力所内部各係間の相互の連絡体制を緊密にして、以後このような惨事を繰返すまい、と誓っている今日においては、相当の禁錮刑をもって各被告人の刑事責任を追求する以上に出て直ちに服役を科するのは刑政の本義にもとるきらいがあるにより、いずれもその刑の執行を猶予することとしたものである。
よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺一弘 裁判官 池田美代子 大和陽一郎)